<リトミック?との出会い>
いまも鮮明に覚えている、楽しい音楽の授業の記憶。
小学校に新しい音楽の先生がきて、私がそのリトミックらしきものを体験したのは、小学校低学年の頃でした。
教室に入ると、その先生は教壇に立ち、レコードの曲にあわせて、キョンシーのように前に突き出した両手をリズミカルに振りはじめました。
「何これ?これは音楽の授業じゃなかったっけ???」
体操でも踊りでもなく、指揮でもなく、しかしとても楽しげな先生の姿に私たちはビックリ仰天!
「君たちもやってごらん」と言われても、歌ったり楽器を演奏することだけが音楽だと思っていた私は、驚きと恥ずかしさで固くなっていました。
でもそれは最初だけ。先生や周りの友達につられ、両手を横に広げたり縦に伸ばして振っているうちに、だんだんと楽しくなっていきました。
すると今度は「違う動かし方を考えてごらん」と、先生。
私たちに目をつむらせ、そして「上手にできている人には、後ろから背中をポンとするからね」と言って後ろを歩きはじめました。
音楽のビートに身をゆだねて身体を動かすことの心地よさ!自分の身体が音楽の中に入っていくような気がしました。
夢中になってやっていると・・・先生が後ろから背中をポン!目を開けてみると、一段高くなったステージで、いつもはいたずらっこの何人かが得意げにひと際ユニークな動きを披露していました。
みんな大笑い。そして多分、今思えば、全員が背中をポンしてもらったのでしょうが、先生にも認めてもらえたことで、満足感でいっぱいになりました。
それは一回きりの授業でしたが、とても鮮烈な体験でした。
この記憶がどこかにあり、年月がたち音大受験を決めた私が、まだあまり馴染みのない「リトミック」という言葉にめぐりあった時には、これだ!とピンとくるものがありました。
<ピアノ演奏表現の悩み>
一生音楽に関わっていきたいと思い、懸命に練習をかさねたピアノでしたが、一方で自分の中でなかなか乗り越えられない壁も感じていました。
・・・どうしてもっと、感じていることを音で上手に表現できないんだろう・・・
音大でのリトミックの授業は、いつもとても刺激的で、眠っていた細胞が目覚めていくような、まとっていた鎧が剥がされていくような感覚を味わっていました。
そんな新鮮な毎日を送っていたある日、不思議なことがおこりました。
いつものようにピアノを弾いていた私は、ふと自分の耳から聴こえてくる音楽が、これまでとは違うことに気がつきました。
自分の心のままに伸びやかに自然に流れていることに気付いたのです。
それは何の苦労もなく、それまで頭の中でイメージしていたことが自然に音に映し出されていくような感覚でした。
まさにこれが、ダルクローズの言う第六番目の感覚が呼び起こされた瞬間だったのだと思います。
それはリトミックを通じて、より具体的に感じたことを身体で表すという体験を重ね、感覚が開かれ、音楽をより深く理解できるようになったからだと思います。そして意識的に動くことにより一旦は筋肉に蓄えられた経験が演奏という場面でよみがえり、生かされたのだと思います。
また、授業でリトミック的な音の聴きとり方の訓練(ソルフェージュ)を受けることにより、実際に鳴っていない音をイメージする内的聴取の感性が高まったからなのだと思います。
<リトミックとピアノの経験を通じて>
リトミックに巡り合い、自らの演奏が変わっていくことは、新鮮な喜びでした。
私が初めてリトミックのレッスンを受けた時の驚きと楽しさは今でも忘れられません。
全身で音楽を感じ、体中の細胞が目覚め、自分が生き生きとしてくる感じは、いつでもはっきりと私の中によみがえります。 この経験を多くの方々にお伝えしていければと心より願っております。
香田美雪